とら蔵、さようなら(2001年~2017年)

「とら蔵、さようなら(2001年~2017年)」

2017年11月11日、夜の20時半頃に飼い猫のとら蔵が天国へ旅立った。その日の14時までは元気な姿を見ていたので突然のお別れ。

夜、帰宅すると出迎えに出てくることが多いとら蔵が出てこない。ベッドの下など探してもいない。ふと娘のベッドの上を見ると、昼寝しているように横たわるとら蔵。「ただいま」と触れると反応がない。温かいけれど、いつもの湯たんぽのような熱さがない。「死んでいるかもしれない」と、実家の母に電話をすると、「拘縮は始まっているか?」など落ち着き払って話してくる。母は結婚前に犬や猫を多数飼っていて慣れているのかもしれない。まだ柔らかいし温かいから、万が一でも蘇生するかもと思って動物病院に連絡し、土曜日の夜に無理やり受け入れてもらった。

娘のカーディガンに包んで抱っこして、近所の動物病院まで車で10分。これから帝王切開手術が始まるというタイミングのところ、若い男性の獣医さんが対応してくれた。専門家なら一目見て亡くなっていることがわかるだろうに、ライトや体温計、聴診器など持ってきて、丁寧にバイタルチェックしてくれた。「もう瞳孔も開いているし、心臓の音もしません。」わかりました、そうですよねと答えつつ、バラバラ涙が出てくる。実はここ数年、涙が出ることがなく、もう悲しいという感情がなくなっているのかと思っていた。仕事の課題に立ち向かってばかりで悲しむ感覚がなくなっていたから。ああ、泣けるんだと思った。

実はこれから他のペットの帝王切開手術がある、申し訳ないけれど少し預からせてもらって、とら蔵ちゃんをきれいに整えさせてもらえないかと。「はい、本当にありがとうございます。うちの子はもう急ぎませんので。」と答えながら、もう急ぐ必要がない、だって死んでしまっているのだからと思うと大変悲しくなった。とら蔵を預けて一旦帰宅し、0時くらいまでかかるかもと言っていたけれど、1時間もせずにまた連絡を受け、迎えに行くと可愛い紙の棺に入りとら蔵が眠ってた。実はベッドの上で発見したとき、抱っこして病院に連れて行くとき、「ご遺体かも」と思うとひどいことに私はとら蔵に触れるのが怖かった。きれいにグルーミングしてもらい、必要ないのに伸びていた爪も切って、白いタオル地の枕までしてもらい、小さな花束も添えられていた。

「怖いな」と思っていたところ、花束を見たら一気にホッとできた。ホッとできるとやっと悲しめるんだなとも思った。私よりずっと若い獣医さんが、「病気で亡くなる猫ちゃんは痛みや傷を抱えていることが多いが、傷が全くない。表情も安らかなので、ほぼ眠るように亡くなったと思う。」と説明してくれた。「16歳という年齢なので多分に老衰。多分、寝ているうちにそのまま旅立ったと思う。」とも言っていた。たどたどしく一生懸命、心が安らぐように言葉をかけてくれていたそのことにとても感謝した。車まで丁寧に棺も運んでくれて、ただただその優しさがありがたかった。

駐車場からまた母に電話した。「何も迷惑かけないで亡くなって、もう少し手間をかけさせてくれても良かったのに。」と話すと、「うちで散々迷惑をかけて、家中ボロボロにしてくれたからいいと思う。」とのこと。実は1年ほど、とら蔵を実家の母に預けていたのだけれど、数時間おきに餌をねだる、遊びに誘う、無視するとふすまに爪を立てるとやりたい放題だったそうだ。私には一切そのようなことをしないので、母にだけするわがままだった。その母が年内に数回心臓の手術をするということで、とら蔵はほんの一週間前に我が家に戻ってきたばかりだった。動物病院でペットの葬儀場も教えてくれて、電話したら深夜だけど対応してくれた。何もかも便利に親切に仕組みができていた。翌日の夕方には火葬できることになった。

前日のとら蔵の様子。一緒にご飯を食べた。

当日、午後のとら蔵の様子。迷惑そう。

本当に冷たくなったとら蔵に触れてみると、私が気がついたときにはまだ随分温かかった、そして柔らかかった。顔を覗き込んんだ時に見た眼と本当に亡くなった後の眼も違った。多分生きていたと思う。「とら蔵!」と呼んだけれど、「ありがとう」とか言えばよかったな。娘のカーディガンに包まれて安心しただろうか。いつも早く帰ってこなくてごめんね。娘が2歳のときにやってきて、なっちゃんとたくさん遊んでくれてありがとう、パパと仲良くしてくれてありがとう。母や妹、もしかしたら父とも一緒にいてくれてありがとう。せっかく帰ってきて、私にももう少し迷惑をかけてくれてよかったんだけど、ママには無理と思ったかな。家にいつもいられるようにパソコンを買ってみたり、一緒に会社の側で暮らしたくて、年内に引っ越すつもりでマンションも探していたけれど間に合わなかった。

昨晩はさすがになかなか眠れず、明け方ウトウトしていたら、リビングを歩くとら蔵の足音が聞こえた。なんと言っていいのかわからないけど、とら蔵が一番幸せなようにね。お母さんやお父さんに会えたかな?私たちともまた会おうね。

とら蔵の寝顔を載せています。私が見失いたくないための掲載なのでご覧になりたくないかたはご注意ください。これは2016年の写真、なっちゃんのピンクのカーディガン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とら蔵、ありがとう。ずっと大好きだよ。

11月12日にお見送り。とら蔵、お帰りなさい。

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