仕事(勤めない働き方)

満員電車に乗ることもなく、遅刻をしないように緊張をすることもなく、疲れたら休むこともできる環境。過敏体質でも大丈夫な働き方を考えたら、とても働きやすいスタイルが出来上がりました。たくさんの人と働きたいのではなく、小さなオフィスで少人数と、効率の良い仕事がしたいのです。時間からも、場所からも、人間関係からも自由になることができるのが「勤めない働き方」です。

 

 

 

 

 

 

私は1998年に、ネットショップオーナーとして起業をしました。発達障害の影響で会社勤めが難しく、妊娠を機に会社勤めを諦めて、独立起業の道を探したのです。起業をした1998年当時は、パソコンを持っている人もまだ少なく、在宅仕事の選択肢はとても少なかったことを覚えています。通訳や士業などとても専門色の強いものか、テープ起こしや封筒貼りのような内職的で採算が合わないものになってしまう。そんな中で「ネットショップ」を見出せたことはラッキーでした。ネットショップオーナーと言っても、SNSどころかまだブログもない時代です。会社勤めで経験したのも、営業や事務仕事で、特別な技術を身につけていたわけではありません。当時2冊しか見つけられなかったネットショップの指南本を頼りに試行錯誤を繰り返し、本当にシンプルなネットショップを開き、当時まだ売っているところがほとんどなかった、「バッチフラワーレメディ」を扱いました。

 

「バッチフラワーレメディ」は植物のエッセンスを飲んでマイナス感情を消していく、イギリス発祥の民間療法です。アロマやハーブと近い世界のものだと思ってください。これも偶然手にした雑誌に載っていたものに飛びついたので、今でいう商品選びや仕入れも一気にそこで出来てしまいました。それから20年近く扱う事になる、運命の商品と起業のスタートから出会えたことも本当に大きな幸運でした。

 

 

 

 

 

 

自宅の一室にパソコンに置いての起業です。「家から一歩も出ない働き方」を目標に工夫を重ね、子どもが生まれた後、通勤の必要のない在宅仕事を頼りに、会社を法人化するまで成長することができました。そうした働き方が珍しかったので、日本経済新聞にご取材をいただいたこともあります。アロマセラピーやハーブは、すでにかなり流行っていたので、もしもこれらをネットショップで扱っていたら私の躍進はなかったでしょう。まだ黎明期のネットショップ、そして超マイナーな商品「バッチフラワーレメディ」の2つが合わさり、私の仕事はオンリーワンの個性を発揮することが出来ました。アスペルガーらしく、毎日同じ作業をコツコツ続けることが苦痛ではなかったので、ご注文もどんどん増えて、やがてその売り上げは、勤めていた頃のお給料を超える収入をもたらしてくれました。

 

数年はそうしてうまく、売上を維持し、本当に充実した日々を送ることができました。

ところが、時代の移り変わりとともに、ブログなどの普及から私と同じようにインターネットを使い仕事をする人が爆発的に増えました。同じ商品を扱うネットショップも数えきれないほどになり、私の仕事はとても苦しいものとなりました。特に強いライバルとなったのは、簡単に作れるネットショップサービスで、「バッチフラワーレメディ」の販売に乗り出してきた主婦たちです。有り余る時間を使って、丁寧なメッセージカードを書く、凝ったラッピングをする、素敵な背景で写真を撮る・・・。これらはすでに毎日の発送作業に追われるようになっていた私にはとても出来ないことでした。彼女たちの売り上げは微々たるものだと予想しますが、数件しかなかったライバルが、一気に数万件に増えてしまったことで、私のネットショップは完全に埋もれてしまうことになりました。

この経験は、時代の変化を読む大切さを強烈に理解するきっかけとなりました。

2008年から、ネットショップを続けながら、パート職員として介護の仕事に就きました。2年間、通所リハビリという部署に勤めました。2年間、育児、介護の仕事、ネットショップの立て直し、そして新しい活路を見い出すための勉強と、多忙を極めた時期でした。起業した頃からパソコンやインターネットに親しんでいたので、私はSNSという時代の流れをうまくつかむことが出来たと感じています。仕事を立て直すために必死でパソコンの中に情報を探す中で、ツイッターとFacebookの可能性にいち早く気がつき、本格的に流行りだす前に、私はたくさんの記事を投稿し、相互に繋がる人を増やし、その活動ぶりはたくさんの人の目に留まることになりました。そんな環境の中で出版が決まり、本がヒットしたことから、また私は働き方を再構築することが出来たのです。ここにもラッキーがあり、障害者に関する法律の大きな改正が続き、「発達障害」に注目が集まっていたことも大きな後押しになりました。その時流がなければ、本の出版も、テレビへの出演も、これほど多くの講演の依頼もなかっただろうと思います。

 

 

 

 

 

そしてもう一つのラッキーが到来しました。

ソーシャルメディアの使い手として、イベントなどに参加することが多かった頃に、群馬県から訪ねてきたのが現在、ともに会社を運営する藤野淳(ふじのじゅん)です。聞けばアップダウンの激しい人生を送っており、元は年商8億円を超えるスーパーの経営者で、それがあるとき突如破産・夜逃げという憂き目にあい、出版業などを経て現在はインターネットマーケティングの仕事をしているという話を聞くことが出来ました。何よりも、スーパー経営時に多くの障害者を雇い、教育をしていたという経験があるとのことで、私の仕事の立て直しとさらなる強化を手伝いたいと申し出を受けたのです。

講演やイベントでますます多忙になった私の生活は、抱えきれない仕事につぶれる寸前になっていました。出版や講演会など仕事の幅は広がったものの、ネットショップと向き合う時間が減り、精神的にも経済的にも大変苦しい思いをしていました。藤野の提案で、まずはイベント参加などの予定を90%以下に減らし、かたづけなども徹底、売り上げの主軸がネットショップによる物販だったところを、商品知識と経験を生かした「セミナー業」にシフトすることで、売り上げは驚くほど伸び、自宅の一室の仕事場を離れ、渋谷区の広尾にオフィスを開設することが出来たのです。

 

 

この経験は、人気と経済力は必ずしも一致しないと理解するきっかけとなりました。必要なのはビジネスをしっかり学び売り上げを生み出す思考回路を身につけることだったのです。

 

私は現在、渋谷区広尾にオフィスを開き、歩いて通えるところにマンションを借りて住んでいます。それまでは電車に乗って自宅から通う生活を続けていましたが、疲れがひどく思い切って引っ越してきたのです。こうしてまた私は在宅仕事に近いスタイルに戻ることになりました。

 

 

 

 

 

出かけることがない暮らしは、消極的に感じるかもしれませんが、私はとても魅力的に感じています。現在は、相変わらずネットショップの運営と、自社でのセミナー運営を主に行っています。広尾という立地は、仕事のためにどこに行くにもタクシーで行かれる便利な場所なので、苦手な満員電車に乗ることはほとんどありません。飛行機や新幹線を使う際にも、ターミナルとなる品川駅までタクシーで10数分ですからそこからの移動ならとても楽です。

コツコツと時間をかけて創り上げた仕事のスタイルですが、過敏な体質でも人間関係の構築が苦手でも、環境を整えればうまくできることもたくさんあるようです。「自分らしい仕事」は丁寧に構築する必要があります。現在は私と藤野で、これまでの経験を生かし、ハンディがあってもなくても、「自分らしい仕事」を構築する方法をお教えすることも、広尾88アカデミーの大切な業務となっています。

 

私は偶然、運命の商品と出会うことが出来ましたが、本来はきちんとした「商品づくり」を学ぶ必要があります。

インターネットの取り扱いも身につけておかないと、すでにインターネットは電話が使えるかどうかというレベルの、仕事上使えて当たり前の道具になっています。

エッセイを書くことと、商品を売るために書くことは全く違います。セールスレターの書き方も身につけた方が、せっかくのブログが日記にならずに済むでしょう。

スーパー出身の藤野の得意は「チラシ」の作成ですが、このチラシでどれだけの売り上げに恵まれたかわかりません。

 

そして「自分らしい仕事」の基盤がしっかりと構築されたのちに見えてくるのが、自分が待ち望んでいた、自分らしい仕事をしながら送る素敵な生活なのではないでしょうか。そして何よりも必要なのがしっかりと時間をかけて実力を養うことです。広尾88アカデミーでは、無理なく勉強と実践が続けられるよう様々なシステムを導入し、全国の受講生とともに励まし合う日々を送っています。

 

 

(広尾88アカデミーで「勤めない働き方」を学んでみませんか?)
ビジネス実践会

 

 

 

 

 

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