強烈なコンプレックスを感じたというだけの話です。暗くてすみません。
昨年、20数年ぶりに母校東京学芸大学の同窓会に参加しました。実はずっと大学と縁を結び直すチャンスを探していました。同窓会をきっかけに、最近では機会があれば大学に足を運ぶようになりました。
私が学生当時お世話になっていた先生方は、当然、年齢を重ねられて(私もですが)、すでに退官されている先生もいらっしゃいました。学者として、教育者として、突き詰めて何かに取り組んで来られた迫力に改めて魅了されました。学生当時も学ぶことは好きでしたから、授業に感銘を受けることは多かったのですが、なぜ、どうして、もっと学ばなかったのか、深く関わらなかったのか、残念で仕方がありません。
そして、先生方のそばには卒業生の皆様も多数いらっしゃるのですが、中にはその道の専門家として、大学で教えている人もいる。そして言葉を交わしてみると私と年齢がいくつも変わらないのです。教育者になった人ばかりではありません。それぞれに、大変立派な大人に見えました。
私自身は大学を卒業した後、すっかり学んだことからも離れてしまい、あんなに打ち込んだ中国語もやがては錆びきってしまいました。大学を卒業してすぐ、私は人生の中で最も辛かった時期を迎え、何をどうしたら良いのかわからなくなってしまいました。よく考えもせずにしてしまった起業や、育児の大変さに絡め取られて、ただただ息をするのが精一杯の年月を過ごしてきてしまったように思います。
2009年に発達障害の診断を受け、2011年にはその体験談と対策をまとめた本で著者デビューを果たしますが、自分自身の不器用さをようやく客観視できた出来事で、何かをやり遂げたというよりは、やっと不具合の原因がわかった感覚です。なんだか、著者デビュー後も含めて、ずっと無我夢中だったな。とりあえず、なんとか働き続けてこられたことだけでもよしとしよう。いや、納得いかないな。
溺れていたものがやっと息がつけて、これからどうやって自分の生きがいを見つけ、達成していこうかようやく考えられるようになったタイミングでの大学とのご縁。周りのレベルの高さに圧倒されて、え、私これからどうしようと思案しているところです。
人と自分を比べて、私は何をそんなに強いコンプレックスを感じたのでしょう?
はっきりと自己分析できているほどではないのですが、まず、「私はこれが専門です」というテーマを、明確に持っていないという点で、情けなく感じました。どちらかといえば、なんとかして社会で生きていく方法を考える機会の方が多く、何かを深く見つめようとしてきたわけではない、いまここ乗り切ることばかりが関心事で、それは残念なことだと思うのです。
何かを突き詰めていくことで、価値観や確信を持つことができるような気がします。その世界をまだ自分が見られていないことを残念に感じたのです。
これから挽回できるかな?納得のいく人生にしたいです。
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