現在の、のんびりした私からは想像しにくいかもしれませんが、学生時代はバックパッカーでした。はじめての一人旅が中国で、10万円で1ヶ月という予算でしたから相当な貧乏旅行です。飛行機ではなくフェリーで渡り、安宿をベースに現地の庶民的な生活を見て回りました。当時(1990年代)、中国は世界で一番旅行しにくい国と言われていたそうで、確かにお釣りを投げてくるは、「没有(メイヨー)」と言って商品やサービス、ホテルの空き部屋なども「あるのにない」と追い返されることもよく起こり、英語もほとんど通じないので、確かに辛かったです。でも、日本とはまるで違う文化風習に魅力を感じ、奨学金を得て留学するまでになりました。
大人になってからは、国内旅行が増えまましたが、あちこち廻るよりも、同じ目的地を何度も訪ねるのが好きです。季節ごとに景色もおいしいものも変わります。それに、どんなに小さな街でも、1日で全てを見切れるところはありません。細かい、細かい発見が楽しいので、再訪せずにはいられないのです。そのように親しんだ旅先の一つが伊香保温泉です。現在、伊香保温泉出身者と一緒に働いており、現地にもご縁をいただいているので、こうして密な関係性を作っていくのが好きなのです。
伊香保温泉は戦国時代に整備された温泉で、山の傾斜を利用して温泉街が整えられました。その傾斜に備えられたのが、あの365段の石段です。江戸時代になると、十二支になぞらえて十二軒の宿が開かれました。これが現在の伊香保温泉の原型になります。
一直線に石段を登っていく伊香保温泉には上昇志向を感じます。勝つか負けるかの戦国武将の気合いを感じます。伊香保温泉は特に切り傷に良いと言われ、戦に傷ついた人の癒しの場だったのでしょう。
それに比して、山代温泉には“輪”の空気感があります。
総湯(共同浴場)を中心に、囲むように宿や店屋が建ち、湯治客は宿に留まるだけではなく、総湯での湯あみや散策などを楽しんでいたと言います。そうして廻り楽しむうちに長逗留になっていくのです。こうした街並みを北陸では「湯の曲輪」と独特な表現で呼び、この地の温泉文化となっています。古き良き景色や文化がよく保たれているのが山代温泉の特徴です。
よく観察すると、山代温泉には街並みだけではなく他にも“輪”を見つけることができます。
薬師王温泉寺や古総湯の提灯など、山代温泉の各所で見られる、「輪」をモチーフとした紋は、「輪宝」と言われるものです。
仏教伝説の「転輪聖王の宝」の意
転輪聖王の行くところ必ずみずから前進して外敵を破る金輪宝,銀輪宝,銅輪宝,鉄輪宝の4種があるという。
仏法の象徴として崇拝されるようになり,のちに紋章化された。比叡山の菊輪宝は,輪宝のまわりに菊の花びらをあしらったもので,密教法具として大壇に用いられる。(ブリタニカ国際大百科事典)
密教の道具であるとのこと。強い邪気払い、悪鬼退散の力などがあると言われ、地鎮などでも使われるものだそうです。
丘側に「萬松園栄螺堂(ばんしょうえんさざえどう)」という建物があり、山代温泉を一望できる展望台になっています。ここからの眺めは格別で、木場潟や柴山潟に加え、白山連峰や遠く日本海までを見渡すことができます。 栄螺は巻貝ですから、それが描く螺旋もまた“輪”につながる形をしています。
過去、現在、未来のような廻る時。永遠にそれが続く永遠の時の流れなどを意味するものが、山代温泉にはいくつかあり、それが街全体を包む空気になっているのです。
永遠にこの幸せが続きますように。
そんな願いを持つ方は、ぜひ山代温泉と深く関わってみてください。春夏秋冬、そしてまた季節は廻る。場所も時間も輪になって、心身を癒してくれることでしょう。
(執筆)
アズ直子 著作家・講演家
北京への留学経験、家族の中国駐在生活により中国文化に親しむ。1993〜95年に政府からの派遣により北京に留学。北京ローカル誌の取材や執筆活動によりより深く文化に触れる経験をする。帰国後、現役の占い師に師事して占術を修め、カルチャーセンターなどで講師を務める。渋谷区広尾を拠点にセミナー会社を運営。テレビ出演はNHK、日本テレビ(ザ・世界仰天ニュース)など。いずれもアズ直子特集番組。
(監修)
天王地広隆 株式会社こころ旅代表
山代温泉出身、北陸(石川・福井・富山)から全国へ。30年超の添乗員経験を経て、旅行会社を設立。白山信仰を中心に神々が集まる北陸で生まれ育ち、開運旅行やパワースポット案内を企画。「北陸こよみすと」を担当しつつ、講師として、暦と旅の専門家”こよみすと”を全国に育成。