私が育った家庭には2人の障害者がいます。
ひとりは6歳下の妹でダウン症。生まれつき知的障害と、心房中隔欠損といって心臓に複数の穴が空いています。もう40代半ばになりますが、元気に穏やかに暮らしています。そしてもう一人が私。発達障害の中でもこだわりが強く人間関係の構築が苦手な「自閉症スペクトラム」。知的障害はなく大学も卒業しています。体質は過敏ですが妹ほどの不自由は抱えていません。
妹は「見ればすぐわかる障害者」です。一眼見れば、障害があることも、何らかのサポートが必要なこともわかります。得半分・損半分と考えていますが、得なのは生まれてからずっと手厚い福祉のサポートを受けており、地域社会でも多くの人の善意に支えられています。損なのは。やはり差別を受けることでしょう。差別というよりは区別をされやすいのですが、学校でも社会でも、どうしても障害者として扱われますから、学ぶこと、働くこと、恋愛や結婚に関しても、一般的な人生とはかなり選択肢が異なってきますし、自由に願いをもつこと自体にハードルがあります。
私は「見てもわからない障害者」です。一眼見て障害者だとは誰も思いません。ある程度のコミュニケーションをとっても、知的にも身体的にも障害がありませんから、違和感を持たれる程度です。こちらも得半分・損半分で、得なことは全く差別も区別もされないことです。進学も、結婚も誰も制約しません。願い努力をすれば好きな進路を選ぶことが出来ました。そして損なことは、障害者だとなかなか理解してもらえないので配慮が受けられない。配慮を受けたいと思ったら説明努力をしなければならないのが大変損な点だと思っています。
どうしてできないのか
努力すれば出来るのになぜしないのか
どこに障害があるのか
障害があると分かったとしても、どう対策したらいいのか
生まれつきの特質なので致し方のないこと、育てられかたなど環境のせいではないこと、決して仮病ではないこと、出来ることもたくさんあること・・・など。
知的障害がある妹のように、説明自体を求めることに無理があると思ってはいただけません。自分の力で相手が納得をしてくれるまで説明をしなければならない。新しい出会いがある度にそれを繰り返さなくてはならないのです。
配慮やサポートを受けたければ、説明が欠かせない。「説明を避けられない人生」を負っていること自体が一番の障害のように思えます。
ですから、もしも発達障害者にハッピーに生きるノウハウがあるとするなら、説明が上手く出来る人はかなりスムーズにそれが出来ると思います。本人に出来なくても、周囲にそれをしてくれる人がいればかなり助けられることでしょう。
「伝え方」は多くの人にとって大事なテーマであり、どうしたらそれがうまくできるか熱心に学ばれています。発達障害には一生その必要があることをまず自覚することが工夫のスタートと考えています。
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