私は、「ADHD(注意欠陥多動症)及び自閉症スペクトラム」と診断を受けている発達障害当事者です。様々ある自分の特性には、不自由をほとんど感じていないものもあれば、アラフィフになった今でも気をつけながらつきあっている特性もあります。
一例を挙げれば、ほとんど気にならなくなったのは、体質的な過敏さです。子どもが生まれるのを機に在宅仕事に切り替え、長い長い時間がかかりましたが、最近やっと、過ごしやすい仕事環境を手に入れることができました。特に助かっているのが通勤のために電車やバスに乗ることがほとんどなくなったことです。体の不調のほとんどがその移動のためだったのではないかと思うくらい楽で快適です。きついスーツや硬い靴も履かなくてよくなったので、過敏体質は変わっていませんが、辛く思うことがありません。
反対にいつまでも残るのは人間関係の構築が苦手という点です。関わる人は本当に少なくなり、一緒に過ごす時間もほとんどありません。それでも、私の気質のおかげで、人を戸惑わせてしまうことがまだあります。熱中するあまりに言葉がキツくなるなどがそうです。また、そうならないように気をつけていること自体が強いストレスになります。自分にとっての自然体でいれば人に圧をかけることになり、そうしないように気をつけると、今度は自分に圧をかけ続けることになり、疲れてしまうのです。
面倒くさいキャラクターです。そんなことをいちいち考えずに過ごせばいいではないかとお叱りを受けそうですが、一番そう思っているのは他でもないこの私自身です。
人間関係については本当にうまくやっていきたいと思っています。以前は「嫌われたくない」という思いが強く、最近では「迷惑をかけたくない。」とよく思います。
あれこれ考えても、何をしても、うまくいかない時はうまくいかないのですが、混乱したときに頼りにしている言葉が2つあります。
ひとつは「ありがとう」。
なんでもいい。会話の最後に「ありがとう」とつけておくと、感謝にもなるし、お詫びに言葉にもなります。こんな私と関わってくださって、「本当にありがとうございます。」と本心から思っています。同時に、例えどんな失敗を私がしたとしても、「ありがとう」と言っているのに悪意を持つ人とはつきあう意味がないとも思っています。そんな心が狭い人と接点を残しても、お互いに不幸になるだけです。
もうひとつは「私は私」。
辛い局面では、ついアスペルガーであることをうらみたくもなるのですが、「私はアスペルガー」ではなく、「私は私」であることを思い出す必要があります。辛くなるのは、人と自分を比べたときです。そんなときにも「私は私」です。そして、「あの人はあの人」だということを心にいつも置いておきたい。アスペルガーだからなのか、私は人との距離感をいつもうまくつかめない。立ち入りすぎないようにいつも気をつけているのですが、ちょっと気持ちが入ると相手のコンフォートゾーンを侵してしまう気がします。「私は私、あの人はあの人」という言葉が便利な境界線になっているのです。
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