好感度を確実に下げそうだけれども、「発達障害の本当の気持ち」を知りたいと思うなら、これこそ「本当の気持ち」なので、お母様方は機嫌のいいときに読んで欲しいと思います。
発達障害を持つお子さんを育てているお母さんの話を聞くと違和感を感じることが多い。全員ひとくくりにするつもりはないですが、同じ違和感を持つことが多いのです。
どうしてそんなに苦労話が先に立つのですか?
講演会でこんな質問を受けることがあります。「小さな子どもに、発達障害者であると伝えるときに、自己肯定感を下げてしまいそうでどう伝えたらいいかわからない。」「障害という言葉があまりにもネガティブでこの言葉を使いたくない。」
こうした気持ちは本当によくわかります。「あなたは障害者なんだよ」と言われたときの、お子さんの気持ちは想像することが苦手な私にもはっきりイメージすることができます。自分は人より劣っているんだ、弱い人間なんだと、大変なショックや落胆を感じることでしょう。大切なお子さんを、そんなふうに傷つけたくないと親なら誰しも思うでしょう。ちなみに最近では、働いている忙しいお母様も多いので、おじいちゃん、おばあちゃんが代理で講演会を聞きに来ることもあります。世代的に一層「障害」という言葉に抵抗を感じているご様子です。
私の場合はどうだったでしょうか?大人になってからの診断と告知だったので冷静な理解は自力ですることができました。それ以上に、告知を受けることで、自分の弱点の正体がわかり、だらしがないのでも。悪意があるなど人格に問題があるわけでもなかったとほっとしました。「障害者」と呼ばれることをどう感じるかと言えば、「別にそれでいい」と思いました。これで色々助けてもらえるし言い訳もたつのでよかったと思いました。
実は6才下の妹がダウン症で、今ほどデリカシーがない時代の障害児でしたから、強い差別も一家で経験することもあり、せめて家族くらいは「障害者」を蔑視すまいと強い信念を持つにいたりました。実際、長く一緒に暮らしてみると、障害者だからと言って、不自由は多いですが劣っているとは思えなくなるからです。健常者のほうができていないと思うことも人生の中で多々経験したことも信念を強化しています。
「障害」という言葉に対して、まずお母さん自身が“劣っているもの”という意識を持っていないでしょうか。「障害者」と呼ばれたら、“かわいそう”と思っていないでしょうか。
別に私はそんなふうに思っていないけれど、周りの人が蔑視しているのが悲しいし許せないとおっしゃられるかもしれません。でも、もしも心底「障害者」という言葉に差別感がないなら、周りがどう言おうと、「何言っちゃってるの?」で済むのではないでしょうか。
「障害者」という言葉を、“劣っている”“弱者”という意味ではなく、“困っていることがあるので助けや応援を必要としている”そのサインだと捉えることができれば、むしろ積極的に使いたい便利な言葉になります。社会や他人を変えるのは大変なことなので、一撃では無理と考えていますが、自分の考えなら自分の意志で決められますよね。
「障害者」という言葉をどう感じるかは一例ですが、伝えたいことは、発達障害者の親になったことを。損をしたと、被害者意識で捉えてはいないでしょうか。
私の母は妹の育児日記を大変細かくつけており、ダウン症の子が生まれたときには「貧乏くじをひいた」と思ったと書いてありました。この子がいる人生でよかったと思えるようになるまでには相当な時間がかかったようです。これが現実だと思います。
でも内心はどうであれ、発達障害を持つお子さんがすぐそばにいるのに、「大変」「辛い」「私はがんばっている」という苦労のムードが色濃く出たら、それこそお子さんが傷つくとは思わないでしょうか。
発達障害関係の母親たちが集まると、まずこの「苦労話」から始まり、長い、そしてくどい。私という当事者は、「発達障害のせいで、負担をかけて申し訳ない」という気持ちで聞いています。でもあまりにもいつもそのように聞かされると、「そんなに私たちの世話が負担なの?」「そんなに私たちが発達障害者であることが嫌なの?」とも思えてくるのです。私という当事者への配慮もできないのだから、きっと普段の生活でも苦労話をまき散らしているんだろうなとも思っています。家族に、先生に、ママ友に、「大変、大変」と、そこから話を始めていないでしょうか?子どものことを笑顔で話してくれる人なんて滅多にいません。
いたしかたない心境だと理解もできますし、その苦労を労いたい気持ちもあるのですが、そばに当事者がいることを忘れないでください。
どんな楽しいことにも、辛いことや苦しいことはつきものです。スポーツの練習が一番わかりやすいでしょう。辛い筋トレ、辛いランニング・・・それがあって人は上手に強くなっていきます。でも、例えばサッカーが大好きな人が集まった時に、筋トレの辛さから話が始まるでしょうか?たまにはあるかもしれませんが、それより先にサッカーが大好きだということ、スター選手の話、もっと上手になる方法などを話すのではなないでしょうか。
子育ての大変さは、命がかかっていますから部活の比ではないことは重々承知。でもここで伝えたいのは、「好き」が先にくればいいのにという話です。
こういうことが得意、こういうところが可愛い、こんな成長があった。そうなんだ、発達障害者の個性はやっぱり素敵だね、そんな話がたくさん耳に入ってきたら、当事者も自分が誇らしく思えるのに。それが、自己肯定感が上がるということではないですか?当事者がいるときには、苦労も悩みも話しませんというなら、それって本人がいないところで陰口ということ?と思ってしまうのが当事者心理です。裏表に混乱し傷つくのも発達障害者の特徴です。
「障害者」と呼ばれる以上に、私の母の言葉のとおりに“貧乏くじ”だと日々の言動で刷り込まれることのほうがへこみます。
私たち発達障害者は、強い個性をもち色々なことができます。困っていることも確かに多いのですが、それは大抵他人との折り合いなので、私たち当事者だけの問題ではなくお互いにクリアしたいことなのでどうか協力してください。ぜひ私たちをもっと好きになって、大変だったことよりも、楽しかったことをもっともっと覚えていてほしい、そして分かち合って欲しいと思います。「発達障害」は素晴らしいのです。まずはそう、お母さん自身が確信してください。
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